書籍紹介

教皇フランシスコ訪日公式記録集

A4変型判上製・280頁
オールカラー
ISBN978-4-87750-230-0
定価4,950円(税10%込)


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『教皇フランシスコ訪日公式記録集』ご紹介動画

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『教皇フランシスコ訪日公式記録集』編集を終えて

 教皇フランシスコが日本の地でわたしたちに伝えたもの――それを簡単に述べることなどできるはずがないが、その根幹の一部をあえて表現するなら、それは「記憶」であり、また「時」であるといえるのではないだろうか。
 1981年2月に、ローマ教皇として初めて日本の地を踏んだ聖ヨハネ・パウロ二世は、広島平和記念公園で語った平和メッセージの中で「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」とのことばを、都合4度繰り返した。
 ヨハネ・パウロ二世が訴えた記憶の継承、フランシスコ教皇は、間違いなくそれを引き継いで日本を訪れた。
 「記憶をとどめるこの場所、わたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないこの場所は、神への信頼の重要性をよりいっそう示します。わたしたちが真の平和の道具となって、過去と同じ過ちを犯さないために働くようにと教えてくれるからです」
 長崎の爆心地公園で発せられた核兵器に関するメッセージの末尾で、教皇はそう語っている。
 このメッセージを読み上げる前、教皇は原爆落下中心地碑に献花し、祈りをささげた。黙禱に要した時間は1分40秒ほどだが、当日プレスセンターのモニターでその様子を見ていたわたしには、とても長い時間に思えた。
 この祈りの静謐さの中で経過した「時」。それは、教皇が発したことばと同等に、わたしたちに語りかけ、訴えかけるものなのだと思う。
 公式フォトグラファーが撮影した写真は、その「時」を見事に表現している。実に不思議なことに、それはある意味で動画以上に、あの日、あの場所で経過した「時」を伝えている。激しい雨が降りしきる中、撮影は困難を極めたと聞いている。しかし、見事な画が、まさに記憶を伝えるにふさわしい画が、フォトグラファーの熱意によって残された。
 記憶の継承、それは、原爆に象徴される近代の戦争の惨禍だけではない。迫害と潜伏の時代にキリシタンが味わった、受難と悲しみの記憶もまた同様である。
 長崎の信徒迫害を象徴する地である西坂の丘で、教皇は「ここは何よりも復活を告げる場所です。あらゆる試練があったとしても、死ではなくいのちに至るのだと、最後には宣言しているからです」と聴衆に語った。そのときの天候は嵐のようで、教皇の肩を覆うペレグリナが何度もめくれ上がってしまった。そのたびに、通訳を務めたレンゾ神父が駆け寄りそれを整えた。
 迫害下にあった潜伏キリシタンたちは、必ずや自分たちのもとに「パーパ」が訪れてくれる日が来ることを固く信じ、自らの信仰を次世代へと伝えていった。それから長い時が経過し、今、西坂の丘にパーパが、教皇が立っている。そしてその教皇の直弟子の一人ともいえる同じイエズス会士であるレンゾ師が、甲斐甲斐しく教皇の身なりを整えている。そんな壮大な(といえば大袈裟だろうか)時の流れも、公式フォトグラファーは鮮やかに画にとどめてくれた。
 広島での教皇の姿もまた然りである。恒久的な平和を切に希求するメッセージの中で、教皇は「記憶」が意味するところを力強く訴えた。
 「現在と将来の世代に、ここで起きた出来事の記憶を失わせてはなりません。より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための保証であり起爆剤である記憶、すべての人、わけても国々の運命に対し、今日、特別な役割を負う人たちの良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶、これからの世代に向かって言い続ける助けとなる生きた記憶をです」
 これを語る教皇の背後には、おぼろに照らし出された原爆ドームがそびえている。1945年8月6日と2019年11月24日、74年の時の隔たりを、フォトグラファーは1枚の画に収めた。その構図は、記憶の継承を説く教皇のメッセージそのものであるかに思えてくる。夜間に広島平和記念公園で公的行事が行われたのは初のことだったそうだ。暗闇に浮かび上がる原爆ドームは、また新しい歴史の証人となった。
 長崎と東京のミサの前に、パパモービレに乗った教皇が惜しみなく振りまいてくれた満面の笑顔は、コロナ禍によって疲弊し、気持ちが沈みがちな今のわたしたちを慰めてくれる。そうした画が伝えているのは、自分たちの想いを視線の先にいる教皇に対してなんとか表現しようとして、熱狂の叫びを上げ、手や旗を懸命に振る群衆と、連日の疲れをものともせず、やはり手を振り、笑顔でそれにこたえる教皇との、ある種の対話なのかもしれない。
 東日本大震災被災者との集いで教皇は、東京に避難し、死にたいと思うほど苦しんできた高校生を温かく抱擁した。また、東京カテドラルでの青年との集いでは、いじめに苦しんできた青年の手をしっかりと握り、じっと目を見つめて励ましの声をかけた。辛い記憶を抱えて生きてきた若者たちは、その温かさにいやされ、自分を包む大きな愛を感じたことだろう。わたしたちもまた、その様子を伝える画を見つめることで、彼らが感じた温かさを確かに実感できる。

 写真は止まったものだ。だから、人はそれを凝視する。動画の場合、見るという行為はやや受け身になるが、写真の鑑賞には「見つめる」という、主体が能動的に参与して区切られる「時の流れ」がある。だから見る者の内には自ずと、写された景色や状況との間に対話が生まれる。その内的な対話は記憶を呼び覚まし、それは、わたしたちの想いをつねに新たなものにしてくれる。この刷新は、次の世代に記憶を伝える使命を帯びたわたしたちにとって、非常に貴重なものなのではないだろうか。写真というものが有しうるとてつもないエネルギーが、あらためて思われる。

 この『教皇フランシスコ訪日公式記録集』には、多数の写真とともに、教皇が日本で行った講話も、すべて収録されている。写真と文字、その両者から、教皇の力強くて温かなメッセージを受け取っていただければと思う。
 そしてそのメッセージを、皆さん一人ひとりのかけがえのない記憶とともに次世代に伝えるため、ぜひ本書を役立てていただければと願っている。

カトリック中央協議会出版部
奴田原智明




カトリック中央協議会出版部ブログ

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